海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 “ちたろまん”200号記念、おめでとうございます。記念すべき号の執筆依頼が入ると時を同じく、古い付き合いの着物屋より、本業の出張美容での仕事も常滑市にて入った。内容は、大学の卒業式のヘア・メイクである。平素、要介護状態の方々のお宅を訪問している私達にとって、旅立つ若者たちの門出をお手伝いする楽しい仕事のひとつだ。セントレアが開港した事と、常滑焼以外、情報らしいものは無かったが、こうして少しずつ常滑市と縁が出来るのも、不思議な事である。
 不思議な縁。それは誰にでもあるだろうが、今回はこの3年の間に、私の身に起きた不思議について書いてみよう。
 3年前、事務所を移転しようと、当時の婚約者(以下、妻)と二人、物件探しが始まった。幾つかの物件を廻ったが、何処も帯に短し襷に長しで、これといった物件には出会えなかった。数週間を無駄に過ごしていると、友人から文京区の居抜き物件を紹介された。私にも妻にも縁のない街である。聞いたこともない駅名に乗り気ではなかったが、渋々、足を運んだ。不動産屋に案内され、物件に足を踏み入れた途端、心地良い直感を感じた。壁面には私の大好きな“ジョン・レノン”の写真が設置されていたのも、その理由の1つだろう。大きさは2メートル四方、頑丈に壁にはめ込まれており、不動産屋日く、「気に入らなければ取り外す」というものだったが、店内を一通り眺め終わると、二人とも『此処にしょう』と心に決めていた。事務スペースを奥に設置しても、店舗部分はその数倍はある。居抜き物件ゆえ、そのまま営業可能な厨房もあった。器用貧乏な私は料理も出来る。ならばと、飲食店も同時に始めることにした。
 とは言うものの、本業の他に飲食店業務が加わったのだから忙しくなるのは当然。開業当初は、何故、美容師である私が、歌手である妻が、これほど大変な事に手を出してしまったのかと、思慮の浅さを悔やんでいた。しかし妻は、『何か理由が在る筈よ』と、写真のジョンを眺め、度々言っていた。
 開業して数ヶ月した頃、妻が十数年来、ボランティアとして支援している(財)骨髄移植推進財団(以下、骨髄バンク)の関係者たちが、あれやこれやと妻へ相談にやってきていたが、いつの間にか私も”相談”のレベルを遥かに超えるほど(プライベートの時間は一切なくなる程)、連日連夜、彼らからの質問責めに遭うこととなってしまっていた。仕事中であろうが、昼だろうが真夜中だろうが、『どうしたら良いですか?』と、切羽詰った連絡が入る。流石に数ヶ月も続いた頃、私は軽いノイローゼとなっていた。
 そんなある日、当時の骨髄バンク・事務局長が挨拶にやってきた。彼は何気ない会話の中、9・11同時多発テロの裏側にあった“ある事実”を私に話した。その“ある事実”とは、全米中が飛行禁止となった際、日本ではアメリカから空輸されてくる骨髄液を待つ3人の患者が居たということと、チャーター機を飛ばして無事に移植を済ませたというものであった。手渡された新聞コピーには、募金を呼びかける内容が綴られていたが、それ自体は私の興味をかきたてるものではなかった。しかし、全米中がパニックに陥っていた時期、アメリカの空を飛んだパイロットの勇気と、国防総省や航空局と綿密な根回しをしたであろう全米骨髄バンクのスタッフの心意気に強く胸を打たれた。
そして、その夜、私は“夢”を見た。デンゼル・ワシントン、ロバート・デ・ニーロ、ショーン・ペン、ブラッド・ビット、ロバート・デュバルら、ハリウッドの名優たちが、骨髄液を日本へ輸送するため、迫真のストーリーを紡いでいる夢を。そしてBGMには、ジョン・レノンのIMAGINEが静かに流れていた。
 私は目覚めるとすぐパソコンヘ向かい、たった今、見た夢を、意味も解らぬセリフと共に入力した。出来上がったプロットを読んでみると、昔に見開きした事柄なのかも知れないが、本来は知る由もない航空法や、それに付随する専門用語などが事細かに記載されていた。自分自身、信じられない思いを抱きながら、それぞれを調べてみると、意味不明だった用語も確かに存在し、法的な問題にも整合性があった。半信半疑ながらも、知人の映画関係者ヘプロットを見せると、彼らは飛びついてきた。・・数ヶ月間、彼らプロの意見も取り入れ、加筆修正をしたが、彼らの言葉の端々に、度々、オーディエンスを小馬鹿にした発言があることに我慢ができず、彼らとの共同企画は白紙へ戻すことにした。
 そして同時期、私は自分のあずかり知らぬ経路で、プロットが某青年雑誌の副編集長の手へ渡っていたことを聞かされた。副編集長が、劇画にしたいとコンタクトをとってきたのだ。・・やはり数ヶ月間、劇画用に加筆修正することに没頭したのだが、またしてもプロである彼らが、読者を馬鹿にしている発言が気になってしまった。そして、出版社の求めるものと私の感覚には大きな違いが生まれていた。私は悩んだ末、劇画化の詰も断わることにした。形になる寸前まできていながら、私は何故、どちらも断わり続けたのだろうか。その他の作品を手がけながらも、頻繁にそのことは頭を過ぎっていたが、昨年の暮れ、その答えがふいに見つかった。
 このストーリーは、私の作品ではない。何者かが私をメッセンジャーとして選び“書かせた”だけである。商業主義になど陥らず、夢で見せられたままを表すのが私の役目である。ならば“舞台”である。この数年に知り合った友人たちを改めて見渡してみた。元・劇団四季の俳優や、舞台監督、有名演劇集団の裏方さんたちが数多くいた。彼らへプロットを見せ、舞台化の話を打診すると、誰もが快く協力を申し出てくれた。私達夫婦が此処へやってきた理由は、この作品を発表することだった。機は完全に熟した。この8月「IMAGINE9・11」が、上演される。



廣瀬浩志(ひろせ ひろし)

1960年 東京生まれ
1980年 ヘアメイク・チームC3結成
1993年 日本初の“出張美容サービスのラプンチェル”開業、各マスコミをにぎわせる。
2004年 “髪日和(かもがわ出版)”を初上梓、気鋭のノンフィクション作家としても各マスコミを賑わす。
2005年 ラプンツェル本部代表と、(有)誠実屋取締役を務める傍ら、H・T・ISSUIのペンネームで、
      美容、医療専門誌などで執筆活動をおこなっている。