海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 この度、偶然にも「ちたろまん」の編集長よりペルーでの生活に関する記事の執筆依頼があり、親しさと懐かしさのためにひとつ返事でその要望に承諾しました。拙文はともかくとして、読者の皆様に楽しみ、且つ興味を持って読んでいただけるような文章を平易に書いてみようと思います。
 さてペルーは皆様ご承知の通り、南米大陸の西海岸、つまり太平洋に接するちょうど真ん中よりも少し北よりの部分に位置します。陸続きの隣の国は北からエクアドル、コロンビア、そして東にブラジル、ボリビア、南に下ってチリと国境を接しています。そして太平洋という大海を挟めば、遠距離ながら日本とも隣国同士ではありますね。面積はおよそ日本の3.4倍に相当し、その人口は日本の約4分の1です。人口の大半はキリスト教のカトリック信者です。人種は先住民族から、中世にスペインに侵略・征服されて以来、ヨーロッパの白色人種が入植・混血を繰り返し、メスチーソと呼ばれる先住民族と白色人種の混血、またアフリカ大陸からの黒色人種、あるいはその混血、また20世紀に始まる日本、中国、韓国などからの黄色系移民など、まさにそこは人種のるつぼと呼ばれます。話される言葉はスペイン語です。気候は大きく区分すると主に3つの気候に分かれます。海岸に面した砂漠性気候、ペルーのちょうど真ん中を北から南に走るアンデス山脈一帯の高山性気候、そしてアマゾン川の源流が流れるジャングルの熱帯性気候の3つです。本格的に細かく分ければ実際は30くらいの特色ある気候が見られて、世界中のほとんどの気候区分が存在すると言われています。
 近年中南米へのツアーが増加傾向にありますが、その中でも特に顕著なのがこのペルーへの観光客の増加です。恐らく一番有名なのが、世界遺産にも登録されていますインカ帝国の空中都市マチュピチュ遺跡でしょう。ここは読者の皆様も写真で見られた方が多いのではないかと思います。テレビや雑誌・展覧会などで頻繁に紹介されている世界的な観光スポットのひとつです。山の頂に築かれた石積みの住居跡はまさに壮観です。この遺跡へ行くには、クスコというインカ帝国時代の首都の街から列車を利用するのが一般的です。この地上3、400メートルの高地に位置するクスコも、赤茶けた瓦屋根の家々がたたずむ美しい街です。巨石で寸分の違いもなく組まれた壁や通り、カトリック教会、遺跡などが所狭しと並んでおり、民族衣装をまとった青空市場の女性たちはまばゆいばかりです。
 地上絵で有名なナスカにも世界中から観光客が訪れます。宇宙人やハチドリ、トカゲ、クモ、猿などたくさんのこれら巨大な地上絵を一体誰が描いたのか。ツアーではいつも必ず小さなセスナ機に乗っての大空からの遊覧になるのですが、こうした空の上でからしか認識できない巨大な絵をどうやって、また何のために描いたのでしょうね。宇宙人がU・F・Oの着陸に造ったものだと真顔で論じる学者もいるほどです。
 その他にも世界一高地に存在する湖と言われるチチカカ湖や、ペルー最北部ピウラ県に位置する中南米屈指の焼き物の街チュルカナスなど、ペルーは数え切れない程の観光遺産を持った国なのです。
 さて以上はペルーに関する観光予備知識のようなものですが、以下から述べますことは実際に住んで経験した者ではないと実感しきれない情報であると思います。どうもごめんなさい、頭の中では整理し切れなくて、乱雑なまま思い浮かんだことを書き進んでいこうと思います。
 まずは車です。私は車を日本からペルー南部のマタラニ港へ船便で輸送したのですが、ペルー国内では全て車両が左側ハンドルで、いかなる例外も認められておりません。従って私たちの車も現地で左ハンドルに改めさせられました。車は右側通行で、おまけにいつも握っていたギアが右手に変わると非常に妙な気持ちになるものです。この国の交通事情は、そのほとんどを車か飛行機に頼っています。鉄道は一部の路線が地方に申し訳なさそうに走っているのみで、主たる交通手段とまでは言えません。首都リマには貨物輸送の一本あるのみで人員輸送の鉄道は一本もありません。ですから朝夕の交通渋滞ラッシュは想像に難くありません。おまけに交通マナーの程度の低さには驚くべきものがあります。2車線のレーンに3台も4台も車が並行して走り流れ込んでくるのもよくあることです。
 タクシーは普通の乗用車よりたくさん走っているのではないかと感じるほど、街のいたるところどこでも走っています。ただ日本のタクシーのような自動ドアではありません。フロントガラスに「タクシー」のステッカーを貼ってるだけのものがほとんどです。メーターがついているタクシーをペルーでお目にかかったことは一度もありません。ですからタクシーを止めてから、窓から行き先をドライバーに伝えて値段の交渉です。高すぎると思った場合は「結構です」と言って手を振って断り、次のタクシーを待ちます。一台タクシーが止まると次々に数珠繋ぎにタクシーが待っていることも珍しくありません。でも一応値段の目安は頭に入れておいたほうが賢明でしょう。
 乗り合いバスは日本の路線バスとは違い、停留所以外の場所でも手を上げれば大概どこでも乗せてもらえます。リマ市内であれば定額(例えば1ソル:1ソルは約35〜 40円)を支払えばかなりの距離を移動できます。値段はタクシーの10〜 20パーセントくらいで済みます。ただし乗り合いバスに限らずですがペルーの人たちは運転がかなり荒いのでお気を付けて。
 日本の道路と一番違う点は、交差点あたりで見かける物売りです。信号で止まる車の運転手やバスの乗客相手に物を売っている人たちが多いことです。売られているものは千差万別です。これがまた季節感を醸し出していて、母の日の前にはカーネーションの花、独立記念日前にはペルーの国旗、夏はアイスクリーム、ジュース、ハロウィンには仮装用の付け髭、かけ眼鏡、あるいはカボチャのおもちゃなど。年末は黄色い下着などです。若干ご説明しましょう。ペルーでは独立記念日前後には、各々の住宅に国旗を掲揚しなければ罰金という法律が定められております。また黄色い下着は、大晦日に黄色いシャツやパンツを着用して寝ると良いことがあるという迷信があるからです。さて道路では信号で車が止まると一目散に洗剤とワイパーを持ってフロントガラスを拭きに来る人、お小遣いをねだりに来る人など様々です。さすがにタクシーの場合はありませんが、乗り合いバスにはアイスクリームや飴、お菓子、文房具、本など様々なものを売りに売り子さんたちが乗り込んできます。宗教団体の勧誘のために車内で大声で説教をされる人もおられますし、バンドごと乗り込んでバスの中でペルーのフォークローレ(民俗音楽)を演奏してお金をもらっていく人たちもよく見かけます。大陸的な包容性・慣用性のため咎める人は誰一人としていません。
 バスのことについて話しましたついでに申しますと、車内に高齢者、あるいは体のご不自由な方が乗り込んで来られますと、若い人たちは必ず(絶対と言って良いほど)その方々に座席を譲るために立ち上がります。実際ペルーの乗り合いバスにも優先座席は設けられてはおりますが、ペルーの人たちはそういうことにお構いなしのようです。
 物価に関してお話しましょう。ペルーは車や電化製品、あるいは重工業製品などを生産する諸工場をほとんど有しておりませんので、その全てを海外からの輸入に頼っています。そのためそれらの製品は日本並みか、あるいは高めというものが多いように見受けられます。
 さて市場やスーパーマーケットなどで売られている食材は、日本に比べるとかなり安価です。これらの農業生産品は自国で産するからです。特にピーマン、トウモロコシ、トマト、イモはアンデス山系のこのあたりが世界の原産地なのです。ペルーにはイモだけで3、000種類以上もあるそうです。今や日本でもお馴染みのマンゴー。ペルーのマンゴーの産地では、人間のこぶし大の甘いマンゴーがひとつ10円くらいからあります。パパイヤも大人の頭くらいの大きいのがひとつ100円もしないでしょう。ペルーは日本では見かけない熱帯産の果物の宝庫です。特にルクマ、チリモヤと呼ばれる果物はペルーでしか食べれないものなので、もし行かれる方は必ず召し上がっていただきますように。不思議な味がして、しかも美味しい果物です。アイスクリームとしても売っています。
 私がいつもスーパーマーケットなどで感慨深げに目にする光景。それは果物売り場で皆さんがよく味見と称してブドウやイチゴなどを摘み食いしていく光景。ペルーでは普通なんですね。もっと可笑しくて笑えるのが、レジで精算前にジュースやお菓子などを開けて店内で物を食べ出すお客さん達。日本ではとても考えられないことですが、ペルーの人たちは平気みたいで、レジで包み紙を持って行って精算されている方もよく見かけます。でも私は一度誰かの飲みさしのヨーグルトを買ってしまって、そのままゴミ箱へという苦い思い出もありますが。
 ペルーの料理について書きましょう。日本のようにその地方々々で特有の食べ物がありますように、日本の数倍も広いペルーも言わずもがなです。でも大きく分けると気候区分のように海岸地方、山岳地方、熱帯密林地方の食べ物と分かれるようです。でも一般的にペルーでは一日一回は米を食べる習慣があるようで、インディカ米とよばれるパサパサの長いお米を食べます。炊飯器に水のほかにサラダ油や塩、にんにくを少々入れて炊き上げるものです。肉は鶏、豚、牛、ヤギなどです。珍しいところでアルパカと呼ばれる山に生息する動物や、クイとよばれるモルモットの肉が食べられています。魚は川魚で鱒、海産物で舌平目、蛸、烏賊、海老、貝類、鰯、鮪などがあります。興味深いのはペルーでも生魚を食べる風習があって、玉ねぎを薄くスライスしたものと唐辛子を刻んだものに、ペルー特産の緑のレモン汁を絞って食べるセビーチェと呼ばれる刺身料理があります。これは絶品の料理で、ペルー料理と言えばセビーチェと呼ばれるくらいです。飲み物はペルーにしか存在しないと言われるインカコーラという黄色いコーラやビール、そしてもちろんワインもあります。ペルーはアルゼンチンやチリの影に隠れたブドウの産地でもあるのです。このブドウの蒸留酒、つまりブランデーがペルーではピスコと呼ばれていますこれもペルーの特産品です。無色透明な高アルコールの酒なのですが、これを氷と卵の白身部分、それに砂糖、先ほどの緑のペルー産レモンとをミキサーで攪拌しましたものに、シナモンの粉を振りかけていただくソフトドリンクをピスコサワーと言います。これもペルーの特産の飲み物で、これで乾杯しながらセビーチェに舌鼓を打つというのが世界中から訪れる観光客の慣わしなのです。日本人観光客の皆さんもこのピスコをお土産に買って帰られる方々が多いのですが、必ず透明のガラス瓶に詰められた製品を買われるようにしましょう。中にはペルーの伝統陶器をモチーフにした黒色ガラス製の瓶に詰めたピスコを買われているお客さんも見かけるのですが、日本の空港ではそれが見つかりますと即没収です。つまり中身が何か確認できないためです。
 ペルー人もラテン系民族のご多分に漏れずパーティー好きです。金曜日の夜9時に友人宅のパーティーに招かれていますと、私たち生真面目な日本人なら9時きっかりに訪ねて行きたくなります。あるいは9時半頃でしょうか。でもペルー人なら早くても10時以降、普通なら11時頃でしょうか。皆がそろってパーティーが開かれるのは日付が変わって12時を過ぎたあたりからなんてことがざらにあります。9時きっかりに行こうものなら、それは招待主に失礼にあたるのです。なぜならまだ掃除をしているか、料理中か、入浴中なんてことがあるからです。
 あいさつの仕方は男同士は握手、女性同士は頬にキス、異性の場合も頬にキスです。乾杯の時は互いに相手の目と目を見つめ合って乾杯します。日本人のように照れ屋で伏し目がちなのは相手に失礼ととられてしまいます。ペルーの方は本当によく食べられます。高齢なお方もたくさん肉を食べられます。ほろ酔い気分になったところでサルサやメレンゲのラテン音楽が大音響で鳴ってきますと、老若男女を問わずに踊り始めます。ステップを神妙な具合に踏んで、腰をくねくねと振り、皆さんそれはそれは上手に踊られます。ご近所の皆さんも非常に寛容なのでしょう、朝までこのまま大音響で踊っていても苦情ひとつないそうです。
 パーティーの話のついでに大晦日の年越しパーティーについてもお話しましょう。クリスマスの夜はさすがに家族だけでおごそかに過ごすペルー人も、大晦日の年越しパーティーは友人同士が集まって食べて、飲んで、話して、踊ってのドンちゃん騒ぎです。カウントダウンを始めるあたりから皆忙しなく、新年0時の時報と共に皆自分の歳の数だけブドウの粒を食べるのです。これが新年の幸せにつながる迷信なのです。またお金が欲しい人はオモチャのお金を床にばらまいて箒で掃いて塵取りにかき入れたり、旅行を希望する人は旅行カバンを背負って近所を一ブロック廻って来るとか、面白可笑しく思わずにっこり微笑んでしまうようなユニークな迷信が多いのです。子供ではなく(子供たちはすでに眠っている)、大人が真剣にこういう行為をしているのを見かけると笑ってしまいますよね。
 こんな感じでペルー人の生活は営まれているのです。国政は不安定、常態化しているインフレ、また高率の失業問題、そして何よりも治安の悪さ。豊かな資源に恵まれているペルーは未だ発展途上の国です。いつこの国が先進国の仲間入りをするのか分かりませんが、少なくとも私一個人としてはペルーという国は不思議で魅力的な国です。ペルー人は歳をとろうが若かろうがお洒落をします。お婆ちゃんでも真っ赤な口紅と、派手なドレスを身にまとって。メタボリックな体形であろうが、中年であろうがおかまいなしに水着を着て、そして時にはビキニを着て海岸で甲羅干しです。日本人ならば「こんな歳でみっともない」と言うのが一般的なのではないでしょうか。その他に、意外と多くの人たちが高齢者たちの面倒をよく見ていると感じました。ペルーは家族単位の結び付きが非常に強固なもので、親を中心とする子、孫、あるいは親戚などの血縁関係は相互互助の精神が強いです。そういったところが最近の日本の家族では少しずつ失われて来ている様にうかがわれます。ただしそれが良いと言っているのでも、悪いと言っているのではありません。ただ、日本の街々に異常な程に物が溢れかえって、通りを行く人たちの顔が非常に無表情で神経質的なことに、時々薄ら怖くなる時があります。公共交通機関などで体力のある若い人たちがさりげなく高齢者、あるいは体の不自由な方々に席を譲ったり助けたりするような社会に変わっていけば、日本の未来もきっと明るいものになっていくのではないでしょうか。さあ、紙面が足りなくなってしまいました。まだまだお伝えしたいことはございますが、今回はこの辺りでお終いにさせていただきます。また何かの機会とご縁がありましたら、続きはその時にということで。この度は皆様に拙文を最後まで読んで頂きまして、本当に有難うございました。
近藤 弘規