海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
姪の就職2
 真三と裕美は空港そばのホテルのレストランに入った。食事をとっている人もいたが、多くは珈琲など飲物を口にしていた。窓際の席が空いていたので二人はそこにゆっくりと腰をおろした。
「何にされますか?私はカレーライスにします。ここのカレーいけますよ」
「そうですか、では私も同じものをいただきます」
おしぼりと水を運んできた女性に真三が注文した。
「食後に珈琲もお願いします」
 真三は舞のインド行について裕美がどの程度認識しているのか、知っておきたいと思った。
「ちょっと寂しくなりますね」
「はい」
「裕美さんは健太郎の残した手紙等には目を通されているのでしょうか」
「全てではないですが、舞がインドへ行くと言い出した時に、気になって彼の遺した手紙類をもう一度、読んでみました」
「それで、どうでした?」
「はじめは手紙を読んで漠然とインドという国をイメージしていました。ある手紙に健太郎さんが一度、『不可触民』という本を読んでくださいと書いてありました。そのことがずっと気になっていましたので、彼の蔵書の本棚にA4の茶封筒の中に大事にしまってありました」
「読まれたのですか」
「いいえ、まだ読んでいません」
「健太郎が女子学生と付き合っていた話は本人から聞かれたことはありましたか」
「はい。結婚することになって、前妻と離婚した理由を少し話しましたが、そのうち忙しさにかまけてそのままになってしまいましたが…」
「いまさらという気もしますが、考えてみますと当時の女子学生は舞さんと同じ年頃ということになります」
「はい…。舞は知っていると思います」
「彼が遺した手記の中に、若干触れていますから舞さんは当然、気づかれていると思います」
「そうでしょうね」
 カレーが運ばれてきたので、ふたりはスプーンを手にとって食べ始めた。しばらく黙っていたが、やがて真三が口を開いた。
「この前、知多半島を二人でドライブした時に『不可触民』を熟読したようなことを舞さんは話していました。そのときは軽く聞き流していたように思いますが、同じ年頃の女性が父親の相手だとわかったら、おそらくショックでしょうね。しかも彼女が健太郎に『不可触民』の本をすすめているということで、世界についての認識の落差を感じ、さらに衝撃を受けたというこが考えられます」
「実は私も今度のインド行きには、なにか秘めたものを抱いているように思ったのですが、最後まで問い詰めることができませんでした。」
「わたしはあの事件についてはいかに穏便に収めるかに腐心していましたので、いまになって相手の女子学生が舞さんと同じ年齢ではないかと気づきました」
「止めるべきだったですか」
「いや、止められないでしょう。まして先輩の知人を訪ねるのであれば、止めることができません。就職が内定していれば可能だったかもしれませんが、いずれにしてもインドへは出かけたと思いますよ」
 真三は健太郎に目を覚まさせてその女子学生と別れるように仕向けることと、前妻とやり直すように全力を傾けていたことを裕美に話した。若気の至りではすまされない。健太郎が中高年の男だったからこそ周囲の人間は信じられなかった。
「恋は年齢に関係ないですよね」
 裕美は自分に置き替えて女子学生と夫との恋愛をみているのか、理解を示すような言葉に真三は一瞬、たじろぐ自分を感じた。人間は死ぬまで恋する者だと理解すれば女子学生との恋はなにも非難されることではない。問題があるとすれば結婚生活を続けながら恋をしたこと、つまりは不倫関係にあることは許されないが、健太郎は離婚が成立するまで女子学生と関係を持っていないと言っているので不倫と認識していなかった。もっとも世間はそうは甘くない。スキャンダル的な出来事としてみる。
 裕美は健太郎を純粋な恋愛だと理解しているので、彼女が自殺して間がないのに健太郎と結婚しているのだと真三は思った。考えてみれば健太郎と裕美の結婚も世間からみれば、いかがなものかと映るに違いない。では世間が認める結婚とはどういうものかと問われれば、その答えはあるようでない。平均的日本人像がイメージできないように、世間が認める結婚像は言いえたとしても意味がない。とくに結婚が家と家でなく、ふたりの人間性で結ばれるものであるならば、世間標準からはずれる結婚があってもいいはずである。
 真三は裕美から見て健太郎はよほど魅力があったのだろうと二人の結婚式に参加した時のことを思い浮かべながら裕美と話していた。あれ以来、健太郎が入院するまで話したことも、会食もほとんどしていないことが、わかった。舞の後見役になってから話し合っている自分を知って不思議な運命を感じずにはいられない。
「健太郎は女子学生と付き合っていることはお袋だけにはきちんと手紙で知らせていました」
「そうですか」
「お袋に知らせることによって免罪符を得ようとしたと思いますが…。親父とか私にはまったく知らせないのです。お袋は苦労人ですから同情を得られると考えたかもしれません」
「それでお袋さんは健太郎さんに何か言われたのですか」
 真三と裕美は手を休めていたが、再びカレーを口に運んだ。その間、真三はお袋の言ったことを思い出していた。
 真三はほぼ食べ終えたころに口を開いた。
「お袋は『健太郎は病気にかかったようなものです。自分で責任を取るしかない』ときびしく突き放すように本人に言ったのです。それで健太郎は黙ってお袋の前から消えました」
「お袋さんは気丈夫ですね」
「腹がすわっているというか、何事にも動じないのです。しかも物事の本質を経験と本能からつかむ能力を有していましたので、誰もがお袋には反抗できませんでした」
「そうですか」
 真三は妻のるり子が「お母さんは怖い人でしたが、教えられることが多かった。」あれだけ物事をはっきり言えることにうらやましがっていた。自分は優しい母親に育てられたが、優柔不断の、どちらかといえばみんなにええ格好する八方美人型だと思い、いつもあとで後悔することがしきりであった。
「だから健太郎はお袋だけに手紙をだしたのだと思います」
―ご報告
 私 善健太郎は、さる九月十五日、妻子や家を捨て、大学生(三年生、二十二歳)と暮らしております。私にとって最愛の相手は彼女であることを確信し、妻とすることを決めたためです。
 法的な手続きはこれからですが、当面、住宅や土地のローン、家計費、子供が大学を卒業するまでの養育費を支払うことで前妻と同意しています。仕事は従来通り新聞社の社会部で空港、同和問題などを取材しております。
 最後に自宅住所と勤務先の電話番号を書いて終わっていた。後日、この住所を頼って親父が健太郎の説得に出かけたのだが、失望以外に収穫はなかった。
「その女子学生に会ったのは親父だけでした。帰宅後、親父はある種イデオロギーにかぶれたインテリ―学生だと吐き捨てるように私に伝えたことをいまもはっきりと覚えています。その上、インドでの僧侶、健太郎の新聞社の仲間とも付き合い、乱れた生活を送っていたようだと悲しげに話しました。ようするにとんでもない女子学生だというわけです」
「・・・・」
「裕美さんにこのような恥さらしの話をして申し訳ないと思いますが…」
「実は本とは別の封筒に手紙の束が入っているのを見つけました」
「ほう、それは何ですか」
「今日、お義兄さんにお会いするので持ってまいりました。私が読んでもよくわからないところがあります」
「そうですか」
「きわめて個人の記録だから躊躇しましたが、これまでお話をお聞きして読んでいただこうと思いました」
「それはどうも…」
 裕美は茶色の紙袋からA4 の用紙を二つ折りした束を三つ取り出しテーブルの上に並べた。
 真三は運ばれてきた珈琲のカップを口元に持っていき一口飲んだ。それを見て裕美も珈琲カップに手をかけた。
「健太郎の本当の心境を知る上で大事なものだと思います」

■プロフィール
著者‥岡田 清治(おかだ・せいじ)

一九四二年生まれ ジャーナリスト
(編集プロダクション・NET108代表)
著書に『心の遺言』 『あなたは社員の全能力を引き出せますか!』 『リヨンで見た虹』など多数

※この物語に対する読者の方々のコメント、体験談を左記のFAXかメールでお寄せください。今回は「就職」についてです。物語が進行する中で織り込むことを試み、一緒に考えさせて頂きます。

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