海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
《見えてきたバリ・ウブドウ、プリアタン村の子どもと学校@》

 「あっ!バリ島の小学生は、睡眠時間をしっかり取っていますよ。スゴイ・スゴイ…。」と、このアンケート調査の項目づくりから取り組んできた学生諸君が、素集計を終えたばかりの用紙を、私に差し出してみせてくれる。
〔小学三年生〕就寝時間20〜21時、起床時間5〜6時。睡眠時間10〜11時間。
〔小学四年生〕就寝時間20〜21時、起床時間5〜6時。睡眠時間10〜11時間。
〔小学五年生〕就寝時間20〜21時、起床時間5〜6時。睡眠時間10〜11時間。
〔小学六年生〕就寝時間21時、起床時間5時。睡眠時間9時間。
 この調査を実施したのは'93年の8月。今から15年も前のことである。当時小学三年生の子どもも今や25才。六年生の子ども達は、28才にもなっている。一人前のバリ島民まっ盛り=c。

 当時、私の研究室は『子どもが、一人前の人間≠ノ育つために必要な生活の仕組みとその内容とは何か』をテーマに、教育学の研究成果はもとより、人間の生理学的研究にまで及ぶ、「人間研究」の文献学習を中心に、その成果を手がかりに、子どもの学校・家庭・地域での生活調査・観察を、多くの教師、保護者の協力を得て手がけていた。
 子どもが、「一人前の人間」に育つ「価値のある生活」とは、結論からいえば、昔からよく言われた「家庭」「学校」「地域」という三つの生活場面をバランスよく生きること。そしてこの三つの生活場面の中に、四つの活動が確立していること。四つの生活活動とは…@基本的生活活動=生命を維持し、健康に生きるために基本的に必要な活動−睡眠・食事・排便・洗顔・歯みがき・入浴等。A労働−家事手伝い・家族労働・清掃・奉仕活動への参加等。B遊び。C学習。
 日本の子ども研究の第一人者であり、私の恩師でもある小川太郎先生の『日本の子ども』(新評論)に学んでまとめたものである。私は、子どもにとって、価値ある生活とは、この『三場面・四活動』のある生活として、学生にも教授してきた。

 この文献学習や子どもの生活実態調査の取り組みの中で、特に私達が注目したのは、子ども達の「基本的生活活動」についてであった。なぜならば、この活動は、人間が健康に生命を永らえるために、どうしても欠かすことのできない生活活動、言い変えれば「あたり前の、極くあたり前の生活」であるからである。
 まず、「睡眠」についての実態調査結果を調べてみると、小学(5・6年)生でみると'60年(昭和35)当時は、66%の子どもが9時までに就寝していたのが、'73年(昭和48)になると、39%に減っている。それでも90%近い子どもが、10時には寝ている。中学生は、9時までに就寝する子は、'60年41%・'73年6%と、激減し、10時〜11時に就寝する子が68%。まだ3割の生徒は起きている。高校生になると、12時すぎて、なお2割の生徒が起きている。


 このように、日本の児童・生徒は、70年代に入ると『宵っぱりの朝寝坊』に変身してきているのです。
 この調査・研究に参加していた80年代の高校生であったある学生が、「高校の入学式で、校長先生に四当五落の生活≠ナ頑張れ、と訓辞された。」(睡眠時間を四時間にして勉強に励みなさい。それ以上、寝っていたら、落後するの意味)と、自分自身の体験を語った時、私は、非人間化した大学入試のための進学一流校を目ざす高校教育≠フ実態の一端に触れた思に、深い戦慄さえ覚えたことを、今だに鮮明に記憶している。
 すでに、この時代から、小・中学生・高校生が、夜おそくなっても床につけないのは、各種の試験の重荷が強くのしかかっているからだ、と言ってもよいでしょう。今世紀に入った今日は、東京・大阪のみならずこの地域も、受験に有利な私学の小・中学校を目指しての受験教育の低年齢化≠ヘ、際限もなく進行し、慢性すいみん不足≠フ子ども達が、大量につくり出されてきています。それと同時に、授業中、落着きや集中力に欠ける子どもも目立ってきているのも事実です。
 私たちは、この調査・研究の取組みの中で、大脳生理学者である時実利彦先生の『脳の話』『人間であること』(共に岩波新書)に多く学びました。人間の年齢別一日の必要平均睡眠時間なるデータも入手しました。参考にしてみて下さい。
 眠る時間は、年令が進むにつれて短かくなるものゝ、働き盛りの成人でも7.5〜8.0時間は必要なのです。
 この表は平均の値であって、睡眠時間は人によって違う。必要な眠りは、時間とその深さから求められた眠りの量であり、ある値になると眠りたりて、人間は目ざめる仕組みになっている…と、説明されている。
 『スッキリ目ざめる』という体験として、私共の世代には、納得できる説明である。今日では、どうだろうか。
 人間が眠るのはなぜなのか。なぜ人間には睡眠が必要なのかの根源的な問いに対して、時実先生は『脳の健康を保ち、明敏な精神活動をするため』と説明されている。
 授業中、落着きや集中力に欠ける子どもが目立つのも、寝不足がその生理的基礎になっているのかも知れません。
 五年生を担任してみえた教師が、子どもたちに、「授業がよくわかるとき、よくわからないときは、どんな時か」−自由に書かせたなかに、三人の子どもが、それぞれ「私の気分のよいとき、ねむたくないときは、よくわかる」、「朝早くおきて、学校へ行くまで時間をゆったりとったとき、よくわかる」、「夜おそく寝たときは、よくわからない」と書いていた、との報告をしてくれた。当然のことの当然の報告として、「しっかり自分の生活と自分の状況を結びつけて考察できる子どもたちだ」と学生ともども賞賛し、こういう子どもを『かしこい子』と言うんだネ…と、うなずきあったことを思い出す。

 バリ島の子どもの教室での学びの様子は、二月号で報告したように、低学年の子どもから、教室を掃き清め、教卓には盛り花を飾り、学ぶ環境を整え、姿勢を正して教師の入室を待つ。
 授業中は、教師の話に集中し、質問もし、指示・問いかけにテキパキ答え、教師の評価の言葉「バグース(よろしい)」に、ますます向学心を高めていく。
 そこには、学び・一人前の人間に育って行こうとする「あたり前の・人間らしい子どもの学ぶ姿」があった。
 このような「人間らしい姿」は、どこに求めることができるのか−。時実先生は、次のように述べておられます。
 「答えはきわめて簡単。私たちに人間の精神を与え、私たちを人間として行動させている脳の仕組みに求めることができるはずである。もちろん、ひとりひとりで性格は違うし、(中略)頭の働きにかなり違いがある。しかし、私たち人間の脳の働きの原則は同じである。そうであれば、動物の脳の働きの原則とどこが違い、人工頭脳とよばれている電子計算機の原理とどこが違うかということをみきわめると、私たち人間の脳の特徴が明らかになり、私たち人間の本質が浮き彫りにされるはずである。
 すでに古く、医学の祖ヒポクラテスはいみじくも書き残している。
 人は脳によってのみ、歓びも、楽しみも、笑いも、冗談も、はたまた、嘆きも、苦しみも、悲しみも、涙のでることも知らねばならない。
 特に、われわれは、脳あるが故に、思考し、見聞し、美醜を知り、善悪を判断し、快不快を覚えるのである。」(岩波新書『人間であること』)
 日本の親たちも、伊勢湾台風(昭34)過ぎくらいまでは、『寝る子は(人間に)育つ』と言って、わが子をねんごろに育てたものでした。