海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち

 5月12日、兵庫県西宮港から、一隻のヨットが太平洋に繰り出す。
 40年前の同じ日にも、一人の青年が操るヨットが、同じ西宮港から、密かに出発した。しかし、太平洋をたった一人で航海し、サンフランシスコに着いたときは、一躍、英雄扱いとなっていた。青年の名前は、堀江謙一という。
 40年たち、青年は、六十三歳となった。だが、老境に達したとは、みじんも感じられない。今も青年の心意気を持ち合わせている。いま再び、同じコースをたどって、太平洋横断の旅に出掛けようとしている。「ワクワクしてるけど、必要以上の高ぶりもない」
 四十年前のサンフランシスコ
 兵庫県の芦屋市にある自宅は、マンションの29階にある。西宮の海が見渡せる大変に眺望のいいところだ。「毎日、海を眺められ、いつでもヨットに乗れるから」選んだ。白を基調とした部屋にはハワイアンが流れていた。まさに、海の男のたたずまいだ。堀江さんは、冬なのに半袖姿。夫人も短パン姿。「薄着の方が肩が凝らなくていいでしょ」とこともなげだ。

 堀江さんは、昭和13(1938)年9月、大阪に生まれた。「幼い頃から、海の子ではなかった。港区に住んだのが縁といえば縁かな」と苦笑いする。
 昭和28年、中学3年のとき、エベレスト初登頂のニュースを聞いて、「デッカイ夢が一つ消えたような気になった」という。山は諦めて海に方向転換して、関大一高ヨット部に入った。「風に任せてどこへでも行ける」ヨットに魅せられ、シゴきにも耐えに耐え、やがてキャプテンになる。
 レースよりクルージングに興味があった。太平洋に漕ぎ出す志は、すでに、そのころから抱いていた。
 堀江さんが、たった一人、ヨットに乗って太平洋単独横断に成功したのは、昭和37(1932)年のことだった。「太平洋ひとりぼっち」ということばは流行語にもなった。
 堀江青年は、パスポートも持たず、英語も話せず、お金もない中での渡航だった。いわば、密出国密入国したわけで、サンフランシスコに到着しても、強制送還されてもおかしくはなかった。
 だが、当時のサンフランシスコ市長・ジョージ・クリストファーさんは、高く評価してくれた。アイゼンハワー元大統領も、日本の青年に寛大な措置をとるように助言してくれた。クリストファー市長は、「コロンブスが強制送還されていたら、今日のアメリカは存在しなかった」という名台詞とともに、即刻、サンフランシスコ名誉市民の称号を送り、1ヶ月の米国滞在も認めてくれた。
 今回は、「ありがとうサンフランシスコ」と、感謝の気持ちを込めての航海でもある。

 40年後のサンフランシスコ
 今回の航海は、40年前とまったく同じ日の5月12日に出発することにした。
 全長6メートル、幅2メートルの初代マーメイド号を再現した。環境の保全と資源の有効活用をテーマとした航海でもある。「ヨットマンとして当然のモラル」だと言い切る。
 船体は、ウイスキー樽に使う木材をリサイクルした合板、マストは、アルミ缶のリサイクル材、セイルには、ペットボトルのリサイクル材を使った。
 スピードアップも図れたはずなので、前回は、3ヶ月かかったが、今回は2ヶ月半くらいで航海し、7月下旬には着きたいと考えている。

 持っていく装備品もずいぶん変わった。数も、40年前と比べると、80点あまりと半減した。今回は、パソコン、衛星電話、GPS(人工衛星による位置確認システム)、海水から飲料水を作る機材もある。格段の進歩だ。
 堀江さんに、拙著を送ったら、それを航海に持って行ってくれるという。自分の本も一緒に太平洋を渡ると思うだけで、ワクワクしてくる。

 堀江さんの航海は、きっと、同世代の人たちへのエールを送ることにもなる。だが、ご本人にそのことを問うと、「ないこともないけど、基本は自分のため。自分自身が楽しむことがいちばん。結果として、元気づけられたらいい」と笑って話す。
 あのときから今に至るまで、「なぜ太平洋を横断しようとしたのか」と、何度も聞かれた。「聞かれるたびに、なぜそんなことを聞くのだろうと思った。行きたいから行ったにすぎない。決心したら、そうしたいと思ったら、何かに押し出されている」
 「結局は、No reason。訳なんてないんです」

 海の冒険には、やりたいことが、次々と出てくるそうだ。堀江さんは、四十代に入ってから2回、五十代になってからは4回と、海の冒険に繰り出す間隔が狭まってきている。
 今回のことを成し遂げたあともやりたいことはまだまだある。あと3つはプランがあるという。とりあえず、七十歳までは、具体的にやりたいことがある。そして、百歳になってもヨットに乗っていたいと、夢は果てしない。

■村上信夫プロフィール
1953年、京都生まれ
明治学院大学卒業後、1977年 、NHK入局。富山・山口・名古屋・東京・大阪に勤務。
2001年6月より東京ラジオセンター勤務。「きょうも元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)担当。
これまで「おはよう日本」「ニュース7」「BS将棋中継」などを担当。
名古屋時代、「お母さんの勉強室」「育児カレンダー」を担当。以来、教育や育児に関する問題に関心を寄せている。
父親たちの社会活動グループ「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋、ピアノ。
「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画とは
「日本画の一つ、俳味のある酒脱な略筆の淡彩もしくは墨絵で賛などしたものが多い」
(広辞苑)