海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち

 曾祖父が幸田露伴、祖母が幸田文、母が青木玉と聞いただけで、この人はなんと恵まれた家系に生まれたのだろうと思う。持つべきDNAを持って生まれ、作家の道に進んだのは当然と思える。しかし本人に、それを言うと、「曾祖父が、分厚い座布団とすれば、だんだん座布団は薄くなり、私などは、座布団の皮一枚くらい」と笑いに伏す。
 その笑顔の主は、作家の青木奈緒さん。自ら志して文章を書こうと思ったわけではない。学習院大学でドイツ文学を専攻後、≪幸田家の人≫という周囲の目から離れたくてオーストラリア・ドイツに行き、のべ12年滞在した。誰の力も借りずに生きてみたかった。現地では、翻訳や通訳の仕事をしていた。日本から離れ過ぎたと思って、4年前に帰国した。
 
 「書くことをするなら、早いうちがいい。やれるのかやれないのか、早めにけりをつけたい」と潔い決断をした。ドイツに行ったことで、ずいぶん変わった。母は、ドイツから帰るたびにたくましくなる娘に目を細めた。それまでは、小石川の家からほとんど出たことのない≪箱入り≫が、「フットワークを大切にしたい」と言うようになった。

 祖母と向き合う旅
 そのフットワークの良さを生かして、奈緒さんは、祖母・幸田文の足跡を訪ねる旅を続けている。幸田文は、昭和51年から52年、72歳から73歳にかけて、全国各地の「崩れ」の現場、崩壊現場を訪ね歩いた。25年後のいま、奈緒さんが、その場所をもう一度改めて訪ねている。祖母の気持ちを引き継ぐ、そんな思いからだ。

 幸田文を知る人は、幸田文学の愛好者は、『木』、『台所の音』、『季節のかたみ』など、端正な日常の世界を描いてきた人と、崩壊の荒々しさ凄まじさとが結び付かず、少なからず驚いた。
 静岡県の安倍峠に、楓の芽吹きを見に行った文は、大谷崩れに偶然出会った。「言うに言われぬ悲愁を感じて」崩壊現場に引き付けられた。荒れ地、崩壊地から、日本を見渡して行こうと思った。いったん崩れの場面を見たら、そのインパクトは脳裏から消え去らないと、奈緒さんは自身も体験的に語る。「これは書きたくなる」と祖母の思いに同感した。
 文自身は、「自分の中に≪物の種≫がたくさん隠れていて、それが老いてから不意に芽吹いたのだろう」と説明している。「人は心の中にたくさんの種を持つ。一生のうちに秘めたままの種もあれば、何かの拍子に芽吹くこともある」
 祖母は、72歳で芽吹いた。「私も、いくつになっても芽吹くものを持っていたい!」と奈緒さんは思う。
 「あの山肌からきた憂いと淋しさは、忘れようとして忘れられず、あの石の河原に細く流れる流水の悲しさは、思い捨てようとして捨て切れず、山の崩れを、川の荒れをいとおしくさえ思い始めていた」と、文は文章にしている。崩れとは、大地の暴力と思っていたが、大地の弱さだと知り、いとおしく思えたのかもしれない。

 

 崩れに魅せられて
 奈緒さんが訪ねたのは、鹿児島県桜島、富山県の立山カルデラ、日光の華厳滝、静岡県の大谷崩れ、富士山の大沢崩れ、長崎県の雲仙普賢岳など、合計15カ所あまりになる。
 このうち、立山カルデラは、奈緒さんに強い印象を残した。火山噴火で出来た円形に近い窪地では、いまも崩壊が続いている。砂防工事は百年近くたっても終わらない。
 そこで、25年前に、祖母を背負った人と対面した。「よく似ているねぇ」と言われた。自分が背負った人の孫を歓待し、岩を伝って歩くような足場の悪い中を、案内してくれた。祖母の代からの縁を深く感じた。
 人に背負われてまで、祖母がよくこんな危険な場所まで分け行ったものだと感心しながら、奈緒さんは「崩壊からエネルギーをもらうというのもおかしな話かもしれない。けれど、もし私がどうしようもない悲しみを背負ったら、行ってみたいと願う場所は、崩れる山という気がしてならない」という感想を抱く。やはりまぎれもなく祖母の地を引き継いでいる。
 山の崩れているところは、樹木で覆われたところと違って、ふだんは見られない内側が現れているところ。見ようによっては、自分の心のうちと重なる。奈緒さんにとって、崩れた場所は、共感し合い、癒され、力をもらう場所に思える。
 「悲しみのあまり、暴れたくなった心を山に預け、流してもらう。心の荒れが収まったら、山をとくと見るがいい。ここにあるのは、崩壊だけではない。頑張る粘り腰、潔く撥ね出す活力、起死回生する力も秘めている」

 「追体験して、祖母に近づけたとは思わないが、砂防工事のことを崩壊現場のことを少しでも多くの人に伝えたい」と思った。「祖母がいいテーマを与えてくれた」と素直に喜ぶ。
 奈緒さんは、「ごめんくださいませ」と、いまは耳にすることの少なくなったことばを残してスタジオを後にした。しなやかで、丁寧な物腰に、凛とした空気が流れる。いっこうに崩れた気配は見せなかった。

■村上信夫プロフィール
1953年、京都生まれ
明治学院大学卒業後、1977年 、NHK入局。富山・山口・名古屋・東京・大阪に勤務。
2001年6月より東京ラジオセンター勤務。「きょうも元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)担当。
これまで「おはよう日本」「ニュース7」「BS将棋中継」などを担当。
名古屋時代、「お母さんの勉強室」「育児カレンダー」を担当。以来、教育や育児に関する問題に関心を寄せている。
父親たちの社会活動グループ「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋、ピアノ。
「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画とは
「日本画の一つ、俳味のある酒脱な略筆の淡彩もしくは墨絵で賛などしたものが多い」
(広辞苑)