海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

 難病のプロローグ

 『ベルサイユのバラ』のオスカル役で一躍脚光を浴びた安奈淳さん。宝塚退団後も、女優として歌手として、大忙しの日々を送っていた。その彼女を大病が襲う。
 膠原病。本来、身体を守ってくれるはずの免疫のしくみが、何かをきっかけとして、自分の身体を攻撃するようになる難病だ。身体の様々な部分に炎症が起きるが、安奈さんのは、たちの悪い全身性ユリテマトーデス(内蔵疾患)だった。
 振り返れば、筋肉が痛くて朝起さ上がれない、目が腫れた、病的ともいえる色の白さ、舌がまわらない。体の冷え、体重が10キロ増えるほどの体のむくみ…といろいろな前兆があった。なのに、医者にも行かず、我慢していた。そのうち直ると安易に思っていた。

 緊急入院したのが、4年前の2000年7月のこと。入院前、足に重しがついているような感覚があった。その日は、吸っても吸っても息が出来なかった。あと1時間遅かったら死んでいた。
 背中から、体内にたまっていた合計20キロあまりに及ぶ大量の水を、少しずつ抜いていく処置を受けた。それは、すべて小水だった。入院4日目にようやく危篤状態を脱した。3ヶ月に及ぶ入院生活を経て、退院するが、そのあと大変なことが待ち構えていた。

 タカラジェンヌへの道

 安奈さんは、昭和22年、大阪・池田市の生まれ。生まれたときすでに「宝塚歌劇に入れよう」と両親に決められていた。父は熱心な宝塚ファンだったし、母自らも宝塚入りを夢見ていた時期があった。
 小学生のときは、ゴンボと呼ばれるほど痩せていた。体が弱く、年中、風邪をひいていたようなものだった。学校も休みがちで、一人で『世界少年少女文学全集』を読んだり、SPレコードを繰り返し聞いたりしていた。
 小学4年生の学芸会で、『白雪姫』の王子役をつとめた。男役の初体験だった。その後、宝塚を目指して、日舞やバレエのレッスンに明け暮れる日々を過ごした。
 昭和38年、宝塚音楽学校に51期生として入学した。厳しくも、おおらかな学校生活だった。卒業公演『人格者』で主演の男役が回ってきた。昭和40年、宝塚歌劇団に入団。雪組、星組、花組と替わった。
 昭和53年、『風と共に去りぬ』のスカーレット役を最後に退団。トップとしては珍しい女役でフィナーレを飾った。そして退団後も、数多くのミュージカルやストレートプレイの舞台に立ってきた。

 病が変えた人生観

 膠原病による入院生活を終えて、自宅に戻ってからが大変だった。強い薬(ステロイド)の副作用に悩まされたのだった。
 短い期間の入退院を繰り返した。人間嫌いになり、人を避けるようになった。思考回路がズタズタに寸断された感じがあった。倦怠感にさいなまれた。

 不眠続きで、悪夢にうなされた。眠れないまま迎えた朝、学校に通う子どもたちの歓声が煩わしかった。うつ症状が悪化して、気分の浮き沈みが激しかった。
 白内障、味覚障害、冷たいものが歯に染みる知覚過敏と、様々な症状が現れた。ムーンフェイスといって、顔がむくんで、白く丸くなった。髪の毛がごつそり抜け落ちてしまったこともある。
 大好きだったマージャンのやり方がわからなくなり、ショックを受けた。薬の名前や数がわからなくなって、パニックになったこともある。大切にしていたミンクのコートなど、身の回りのものを人にあげてしまう癖が出た。友人が拾ってくれてことなきを得たが、衝動的にパスポートもごみ箱に捨ててしまったことがある。
 これだけ揃えば、死にたい!と思うのも無理ならぬことかもしれない。ベランダから飛び降りかけたことも、果物ナイフで喉を突きかけたこともあった。しかし、ベランダの柵を乗り越える体力もなく、喉にナイフを当てた痛みにびくつき、大事には至らなかった。
 元気になるきっかけは、身近なところにあった。2002年1月、同じマンションに住む女子大生から、歌を教えてほしいと依頼された。「私を必要としてくれる人がいる」という思いが励みになった。蓋を閉めたままだったピアノが息を吹き返した。ピアノを弾けば、指のリハビリにもなる。かぼそくなっていた声も、発声によって、少しずつ戻ってきた。薄皮を少しずつ剥がすように病状も回復していった。
 2002年4月、1年9ケ月ぶりに舞台復帰を果たした。感慨ひとしおだった。
 膠原病は、安奈さんの人生観を変えた。あれほど苦しめられた病気を、いまは宝物と思える。以前にも増して、前向きな考え方になった。以前は、見えていなかったものが見えるようになった。1回1回の舞台が、とても大切に思える。こんなに優しくなって大丈夫かと思うほど、人に対して優しくなった。感謝の気持ちが強くなり、人と比較したり嫉妬したりもなくなった。自分を飾らないで、かっこうつけないで、ありのままの自分を出していこうと思えるようになった。
 歌にもいい影響を与えた。声につやが出て、詩が胸に響くと言われるようになった。こねくりまわして歌わなくても感動が伝えられると実感している。
 せっかく生かされたのだから、細く長く生きていきたいと思っている。
 安奈さんの座右の銘は、宝塚退団の思い出の役『風と共に去りぬ』のスカーレットのせりふだ。「くよくよしたってしようがないわ。考えるのは明日にしましょう」
 健康維持のために始めたウォーキングが楽しい。単に乗っていたら見過ごしてしまう景色に感動し、道行く人の様子を楽しみながら歩く。規則正しい生活のおかげで、朝が爽やかに迎えられ、一日の始まりが嬉しい。

■村上信夫プロフィール
1953年、京都生まれ
明治学院大学卒業後、1977年 、NHK入局。富山・山口・名古屋・東京・大阪に勤務。
2001年6月より東京ラジオセンター勤務。「きょうも元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)担当。
これまで「おはよう日本」「ニュース7」「BS将棋中継」などを担当。
名古屋時代、「お母さんの勉強室」「育児カレンダー」を担当。以来、教育や育児に関する問題に関心を寄せている。
父親たちの社会活動グループ「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋、ピアノ。
「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
おなじの腕まくり「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画とは
「日本画の一つ、俳味のある酒脱な略筆の淡彩もしくは墨絵で賛などしたものが多い」
(広辞苑)

イネ・セイミ

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  詩と朗読
  フルート
  ピアノ
  構 成

  Disk1
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