海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

 デザイナー、プロデューサーの山本寛斎さんは、「人を元気にする」ことに熱き心で取り組んでいる。
 寛斎さんの話す言葉は、《熱血語》という。「人間のエネルギーの源は夢。熱血語は夢をかなえる武器。熱血語は世界共通の言語」だと熱弁を奮う。魂のこもった言葉で必死に伝える。

熱き心の源
 1944(昭和19)年、神奈川生まれの64歳だが、還暦を過ぎているようには、まったく見えない。いつも元気で、大きな声を出している寛斎さんに、熱き心がもてないときもあったとは信じがたい。だからこそ、いま熱き心なのだろう。

 父は、テーラーの仕事をしていた。小学生のころ、父の作ってくれた半ズボンを同級生に見せたくて、前夜興奮して眠れなかった。この子どもの頃の胸の高鳴りが、デザインやイベントの原点かもしれない。
 内気で泣き虫でか弱い少年だった。7歳の時、両親が離婚した。幼い弟の手を引いて、父方の故郷高知の児童相談所に行くことになる。「高知に向かう鈍行列車から見た夕暮れの町並みが今でも忘れられない」という。月明かりを頼りに、サツマイモを掘り、土を払って生でかじりついたこともある。明るく元気いっぱいの世界を作り出そうとするのは、こんな原風景から抜け出したい本能のなせるわざかもしれない。
 その後、再婚した父に引き取られるが、父が離婚と結婚を繰り返すたびに、引っ越しをするはめになる。合わせて12回引っ越しを繰り返した。「父は反面教師。だから僕は家庭を大切にしてきた。幼いものを守りたいと思ってきた。」

 内気な性格が変わったきっかけのひとつに、小学校の校庭での雪合戦がある。ガキ大将が、石を仕込んだ固い雪玉を投げてきた。むくむくと正義感が頭をもたげ、猛然と抗議をした。この時を境に、寛斎さんは、学校の注目を浴びる的となる。
 中学でも、高校でも応援団長を務めた。
 大学に入るが、デザイナーになりたいと中退し、コシノ・ジュンコさんに弟子入りする。21歳の時、岐阜から、世界に通用するデザイナーになろうと熱き心を持って上京する。一日の食費二百円のつましい生活に耐えながら、明けても暮れてもデッサンの勉強を続けた。
 その結果、23歳の時に、デザイン界の芥川賞といわれる《装苑賞》を受賞する。会場の中から「その服!かっこいいぞ!」と自分で叫んだそうだ。「自分の声援が自分を助けた」と山本さんは苦笑いしながら当時を振り返る。

 このころの寛斎さんのデザインは、とにかく斬新。カーテン生地のゴブランで作ったジャケット、蛇革のジャケットなど…誰も着たことのないものばかりだった。「未来に前例はない!時代は後からついてくる!自分が前例になる!」と息巻いていた。
 26歳。日本人として初めてのロンドンでのファッションショーが大成功を収め、ファッション界の革命児ともてはやされ有頂天になっていた。
 ところが、30歳の時、勢いに乗って、ファッションの本場パリでのファッションショーを開くが大失敗。勢いと格好だけが空回りしてしまった。借金まみれ、倒産寸前に追い込まれた。「いっそ死のうか」とまで思い詰めたが、司馬遼太郎の《燃えよ剣》を読み、土方歳三の最後まで諦めない生き方に感銘を受け、「ひたすら地道に服を作り続けよう」と思い直す。
 「神様、マジにやります。もう一度未来をください」と、この年生まれた次女に未来と名付ける。生活態度も一変した。酒を減らし、早寝早起き。朝食も自分で作り、犬と散歩をする。朝の空気は、気持ちを前向きにしてくれた。

ふたたび熱き心
 自分だけの表現を見つけられたのが、1993年、モスクワ《赤の広場》で開いたスーパーショー「ハロー!ロシア」だった。光・音・騎馬武者・女性だけの太鼓・ファッション…人間の五感に訴えかけるショーだった。赤の広場を借りること自体、不可能を可能にした奇跡的なことだったのに、12万人ものロシア市民が詰めかけた。大成功だった。これ以降、人間賛歌をテーマにしたスーパーショーを各地で展開していく。
 イベントには当然ながら莫大な経費がかかる。その資金集めのため、寛斎さんは、企業に熱血語で、手書きの手紙をしたためる。しかも画用紙に7色のカラーペンで書くのだ。文字にもエネルギーが必要だからというわけだ。相手の喜びそうな、興味を持ってくれそうな内容を、事前に調べて書く。100社に書いたとして、70社が面会OK、30社が資金提供をOKしてくれる。「100行動を起こせば、30良い結果が出るという法則」に気づいた。
 その後も、スーパーショーは、1995年ベトナム、1997年インドで開催。2000年以降は、岐阜、山口、東京など、国内で開催した。

もう一度熱き心
 元気はつらつの寛斎さんも、去年、体調を壊して、入院した。「いつになく悲観的になった」というが、外出許可が出た日、明るい色目の洋服をいっぱい買い、病室に吊した。ブティックのような病室を演出するところは、さすが寛斎さんだ。
 今回の入院で、さすがの寛斎さんも、死について思いを巡らせた。いつか来るその時は「じゃあ、またね」と笑顔で逝きたい。「寛斎さんらしい、派手なパジャマ着てたね」と言われたい。
 人は生きてきたように死ぬ。「ならば、命の期限を実感したから、すごーくすごーく面白いことをしたい。熱い思い、熱い言葉を次の世代に伝えたい」
 だがこの世からの退場はまだまだ早い。「娘の娘が20歳になるまで、あと10年は、かっこよく生きてみよう!」と思うのだ。
 2009年秋頃、ニューヨーク、東京、大阪の3都市で、同時期に同じテーマで「スーパーショー」を開催する夢がある。

■村上信夫プロフィール
NHKチーフアナウンサー
1953年、京都生まれ。
明治学院大学卒業後、
1977年、NHKに入局。
富山、山口、名古屋、東京、大阪に勤務。
現在は、「今日も元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)、
「BS将棋中継」などを担当。
これまで、「おはよう日本」「ニュース7」「育児カレンダー」などを担当。
教育や育児に関する問題に関心を持ち続け、横浜市で父親たちの社会活動グループ
「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋。
著書に「元気のでてくることばたち!」(近代文芸社)
「おやじの腕まくり」(JULA出版局)
「いのちの対話(共著)」(集英社)
「いのちとユーモア(共著)」(集英社)

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■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画教室開講中
 ところ:常滑屋
 と き:月1回 第2金曜日 午後1時〜
 会 費:1回 2,500円(4ヶ月分前納制)
 問合せ:0563−32−0583

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