海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

 パパ荒川さんは、50歳で念願の歌手デビューをかなえた。
 26年前、歌手を目指して、愛知県から上京したものの、夢を持ち続けても、なかなか夢はかなわない。いつしか、5人の子のパパとなったものの、生活も困窮し、音楽活動もままならなかった。深夜トラックの運転手をして、家族を支えていた荒川さんだが、今年に入って風向きが変わり、トントン拍子に、歌手デビューの話が舞い込んできた。デビュー曲は、「こどもたちへ」。父親からの感謝のメッセージを伝える歌だ。

歌手になりたい
 荒川さんは、1958年、長崎県長崎市池島(旧・西彼杵郡外海町池島)の生まれ。3人兄弟の末っ子だった。父は、炭鉱で働いていたが、転職することになり、小学校3年の時、愛知県大府市にやってきた。そこで、野球を始め、以来、甲子園を目指す野球少年になった。
 歌う事も好きだった。小学校4年で初めて買ったレコードは、なんと内山田洋とクールファイブの「この愛に生きて」。おませな少年だった。中学3年の時に、井上陽水の「傘がない」に衝撃を受け、自分も歌いたいと、ギターを買ってもらい、野球の合間に歌う日々が続いた。
 野球熱も冷めず、高校(半田商)でも野球、名古屋学院大学でも野球。だが、肩を壊し、野球を断念した。そして、いよいよ、大学卒業後、音楽の道でプロになる事を目指す。
 1981年、プロ歌手になるべく、婚約者の伊束子(いつこ)さんを残して、上京した。しかし、活動もはかどらず、遠距離恋愛にも耐えきれず、翌年、愛知に戻った。伊束子さんは、妊娠した。いわゆる「出来ちゃった婚」になるはずだったが、結婚を承諾してもらおうと、伊束子さん宅を訪れたところ、父親に一喝され殴られたあげく、断られてしまった。妹の計らいによって、東京へ駆け落ちするのだが、伊束子さんの父が倒れ、再び愛知に戻ることになる。
 歌手への道を諦め、就職する事で結婚を許してもらう。地元の金融関係の会社に就職した。3年間勤めたが、夢を失い、稼ぐためだけに働く事に違和感を覚えた。
 1985年、27歳の時に再度の上京を決意。妻子を連れて上京した。当時は空前のバンドブームだった。オーディションを次々受けるが、不合格が続いた。どこまでも運のなさが付きまとう。ライブハウスで歌いながら、アルバイトで食いつなぐ日々だった。

歌手になれない
 30歳を過ぎて、さらに3人の女の子が生まれた。そして待望の長男も誕生し、荒川さんは、5人のパパとなる。どんなときも家族を大切にしてきた。学校行事には、家族全員で参加した。PTA会長も務めた。仕事、家族、仕事、家族・・・いつしか、音楽活動が滞っていった。苦しいながらも見続けた夢「歌手」。それが消えかけていた。

 そんな時、『次女事件』が起こる。1996年の夏、高1になった次女は、学校でバンドを結成したが、人間関係がうまくいかず、夏休みにバンドを解散し、家で腐っていた。その次女に向かって荒川さんが「いい加減になるなよ!」と喝をいれた。その時に事件は起こった。
 「お前こそ、何だよ!今のオヤジは!夢見ていたはずの音楽も、仕事も両方いい加減。情けないよ!」と、次女に逆ギレされた。2階に駆け上がり泣いた。夜の仕事でトラックに乗っている時、また泣いた。「自分は何なのか?子どもたちに何を残せるのか?」自問自答するうち、自然と歌詞が湧いて出てきた。
 「欲しいものも好きな事も我慢させてごめんよ、その日の食べる事で精一杯だった」「あきらめない勇気、どこまでも信じる力、人を裏切らない誠実さと、愛を貫いて生きていく事。それだけを伝えたくて」と綴った。
 これが「娘たちへ(こどもたちへ)」という曲になった。
 ライブ活動を少しずつ再開した。2006年4月、ライブハウスで子どもたちの前で、この曲を初めて披露した。家族が号泣した。

歌手になれた
 父の背中を見て、子どもたちも、いつしか「歌う」喜びに目覚め、時折、荒川家の「ファミリーコンサート」も開催していた。それが新聞でとりあげられ、その記事に、あるプロダクションが目をつけた。そして、トントン拍子にデビューが決定したのだ。あれほどつかもうとしてつかめなかった夢が、向こうから、あっと言う間に近づいてきてくれたのだ。
 デビューの直前まで、その日食べることもままならない、相当、切り詰めた生活を送っていた。7人家族の3K住まい。電気・ガスも止められたことがある。毎月10万円の赤字を、子供たちがアルバイトで補った。中3の四女の修学旅行は、家族の定額給付金をかき集めて、ようやく行くことが出来た。そんな日々の中、転がり込んだ突然のデビュー話に、最初は「夢に一歩近づいたけれども、戸惑いを隠せなかった。これは夢なのか・・・?」と。

 長女、次女、三女の3人は、歌手志望。四女は、俳優志望、長男は野球選手志望。苦しい生活の中でも、親の背中を見て育ってきたようだ。子どもたちが、パパが歩いてきた道を志したのには、「パパは、夢を持っていてスゴイ」と言い続けてくれた妻・伊束子さんの存在が大きい。
 パパ荒川さんの次の大きな夢は、紅白歌合戦の舞台に、家族で立つことだ。

■村上信夫プロフィール
NHKチーフアナウンサー
1953年、京都生まれ。
明治学院大学卒業後、
1977年、NHKに入局。
富山、山口、名古屋、東京、大阪に勤務。
現在は、「今日も元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)、
「BS将棋中継」などを担当。
これまで、「おはよう日本」「ニュース7」「育児カレンダー」などを担当。
教育や育児に関する問題に関心を持ち続け、横浜市で父親たちの社会活動グループ
「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋。
著書に「元気のでてくることばたち!」(近代文芸社)
「おやじの腕まくり」(JULA出版局)
「いのちの対話(共著)」(集英社)
「いのちとユーモア(共著)」(集英社)

「元気のでてくる"ことばたち"」
(近代文芸社)
1,500円(税別)
おなじの腕まくり「おやじの腕まくり」
(JULA出版局)
1,400円(税別)
「言えなかったありがとう」
好評発売中

■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画教室開講中
 ところ:常滑屋
 と き:月1回 第2金曜日 午後1時〜
 会 費:1回 2,500円(4ヶ月分前納制)
 問合せ:0563−32−0583

イネ・セイミ

 堀江実のポエムコンサートをCDでお届けします。

  詩と朗読
  フルート
  ピアノ
  構 成

  Disk1
  Disk2
 堀江実
 イネ・セイミ
 はちまん正人
 佐藤よりこ

 光のように
 花のように

 言霊に癒されるCD堀江実のポエムガーデン
 やさしい風がふいています。
 木々の梢は光っています。
 あなたの心がやすらぎで満たされますように。
 あなたの心に喜びがあふれますように。

2003年10月22日発売 CD2枚組 3,150円(税込み)