海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

 朝のドラマ「ひらり」でキャベツをかじりながら酒を飲んでいた銀ちゃんが忘れられない。石倉三郎さんは、まさに、いぶし銀の役者だ。

とてつもない出会い
 石倉三郎の人生には、高倉健さんが深い関わりを持っている。
 健さんと運命の出会いをしたのは、21歳の時。小豆島から役者目指して上京し、生活費を捻出するため、青山のスーパーに勤めていた。仕事帰りに、毎晩、必ず行く喫茶店があった。そこに、高倉健さんも毎晩来ていたのだ。

 何回か顔を合わせているうちに、なんと高倉健さんのほうから石倉さんに話しかけてきた。大阪から上京してきたことを、喫茶店のママから聞いて「大阪弁でやっている映画を見てきてくれるかな?」と頼まれた。チケットをもらい健さん主演の映画を見てきた。感想を聞かれて、「健さんの大阪弁、たいしたことないですな」と答えた。
 ものおじしない率直な物言いをする石倉さんに好感を持ったのだろう。石倉さんが役者になりたいことを知った健さんに「サブちゃん、じゃあ東映に来るか?」と言われた。2日考えた末、東映の門を叩き、大部屋俳優として俳優のスタートをきった。
 東映に入り、芸名を考えろと言われた。本名は、石原三郎だから、高倉健三郎にすると言ったら周囲から笑われた。結局、「倉」の字一字だけ頂戴した。

紆余曲折の人生
 江戸前の役者に思えるが、生まれは香川県・小豆島。昭和21(1946)年の生まれ。あけても暮れても、チャンバラ、メンコ、缶けり、こま回し…、勉強なんかしたことのないガキ大将だった。
 父は料理人、母は映画館で場内案内係をしていたが、裕福ではなかった。「どんなに貧乏してもケセラセラ、何とかなる」と母は陽気な性格だった。
 母だけでなく兄も映画館で働いていたので、映画はタダで、よく見た。日替わり3本立てだったので、とにかくたくさんの映画を見た。スクリーンの中の三木のり平や植木等に憧れた。
 昭和29年、小学校2年生の時、高峰秀子主演の映画『二十四の瞳』の撮影が島で行われた。島の子どもたちが撮影に参加したことを伝え聞いて、「俺も映画に出たい」と思った。

 中2の時、一家で大阪に移り住んだ。4畳半に5人が寝ていた。中卒で働き、家計を支えたが、役者への夢捨てがたく、20歳の時「毎月必ず仕送りするから」と約束して上京した。そして、ほどなく健さんとの出会うのだ。
 東映に入り、アルバイトしながら、大部屋生活を送っていたが、うだつがあがらず、厭世観が出てきた。5年で見切りをつけ、商業演劇の世界に活路を見出そうとした。健さんからは、「この世界、膝まで泥沼に浸かれというが、ドップリ首までつかってみなよ」と、餞別の言葉をもらった。東映をやめることを責めず、夢をあきらめずに頑張れと言われた気がして嬉しかった。結局、ドップリ首までつかることになった。
 まるで、仕出しのように次から次にいろんな仕事をしながら、多くの舞台をハシゴした。ギャンブルに手を出し、多額の借金を抱えた。そこに、救いの電話のベルが鳴った。
 旧知の坂本九さんから、全国を廻る歌謡ショーの専属の司会者にならないかという誘いだった。司会の経験はゼロだったが、しゃべることは得意だからと引き受けた。水を得た魚だった。やっと、この仕事だけで生活出来るようになった。
 坂本さんとの契約期間を終えた後、レオナルド熊さんに請われて、コントという未知の世界に入る。しかしほどなく、熊さんが病に倒れた。いくら何でも、もう潮時と諦め、芸能界を引退するつもりで、千葉県で知人のトマト栽培を手伝った。
 だが、病癒えた熊さんから、もう一度コンビを組みたいと熱望された。再結成した「コント・レオナルド」は、折からの漫才ブームにのって、人気者になる。
 ある日、高倉健さんから電話がかかってきた。「よかったなぁ。がんばれよ」うれしくて、うれしくて、涙が止まらなかった。
 知名度が上がった石倉さんには、役者としての仕事も次々舞い込む。

誰かが見てござる
 「ひらり」を見ていた市川昆監督から『忠臣蔵 四十七人の刺客』への出演依頼が来た。なんと、健さん演じる大石内蔵助の用人・瀬尾孫左衛門役だった。23年ぶりの再会だった。「サブちゃん、来たか。やっと、潮が満ちてきたねぇ」と言ってもらえた。首までドップリ浸かったかいがあった。恩返し出来たような気がした。これ以降、石倉さんは、市川作品の常連となる。
 石倉さんの信条は『誰かが見てござる』。だから、ふざけた人生送ってはならない。くさっていてもしかたがない。そうすれば、人生、必ず「浮かぶ瀬」があるはずだ。
 地道に頑張っていれば、誰かが見てくれている。坂本九さんも、レオナルド熊さんも、市川昆監督も、石倉さんを見てくれていたから、新たな世界が開けた。
 そして何より、ずっと高倉健さんが陰になり日向になり見守っていてくれた。石倉さん曰く「菩薩のような存在」だという。青山の喫茶店に、菩薩が座っていたのだ。

■村上信夫プロフィール
NHKチーフアナウンサー
1953年、京都生まれ。
明治学院大学卒業後、
1977年、NHKに入局。
富山、山口、名古屋、東京、大阪に勤務。
現在は、「今日も元気で!わくわくラジオ」(ラジオ第一8:35〜)、
「BS将棋中継」などを担当。
これまで、「おはよう日本」「ニュース7」「育児カレンダー」などを担当。
教育や育児に関する問題に関心を持ち続け、横浜市で父親たちの社会活動グループ
「おやじの腕まくり」を結成。
趣味は、将棋。
著書に「元気のでてくることばたち!」(近代文芸社)
「おやじの腕まくり」(JULA出版局)
「いのちの対話(共著)」(集英社)
「いのちとユーモア(共著)」(集英社)

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1,500円(税別)
おなじの腕まくり「おやじの腕まくり」
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■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

* 俳画教室開講中
 ところ:常滑屋
 と き:月1回 第2金曜日 午後1時〜
 会 費:1回 2,500円(4ヶ月分前納制)
 問合せ:0563−32−0583

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