海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
元気のでてくることばたち 村上信夫NHKアナウンサー

 藤澤ノリマサさんは、「ポップオペラの貴公子」と呼ばれている。
 ポップオペラは、曲のサビの部分に有名なクラシック音楽を入れ、サビ以外は新たに作曲したポップスメロディーになっている。サビの部分はイタリアオペラの発声法で歌って、それ以外はポップスの発声法で歌うので、ポップス好きな方にもクラシック好きな方にも楽しんでもらえる新しいジャンルだ。

 ラジオビタミンの「ノリノリクラシック」は本当におもしろかった。藤澤さんのノリの良さでクラシック音楽をわかりやすく解説してもらおうと企画したら、大人気のコーナーになった。彼が出演する日はお便りがたくさん来て、リスナー拡大に一役かってくれた。「毎回バッハさんとか、ベートーベンさんとか親しみを込めながら、一人の作曲家に焦点を当てて解説しましたが、正直、音大時代よりよく勉強しました」と藤澤さんは苦笑する。

ポップオペラは、こうして生まれた

 1983年、北海道札幌市生まれ。
 北海道に生まれたことが大きい。「広大な大地、澄み渡る空、深い藍をたたえた海…ボクの曲作りの原風景」だと言う。空と海と大地に抱かれた音楽作りがノリマサ流。狭い空間で締め切りに追われるのは流儀に合わない。
 父は声楽家、母は歌謡曲の先生。幼いころから、家の中には、イタリア歌曲か歌謡曲のいずれかが流れていた。いつも音楽があったのだ。この両親のもとに生まれていなければ、今はない。
 藤澤さんの音楽に向けての道が拓かれたのは、小学校時代だ。1年生の時、テレビで歌手を見て、「自分も歌手になりたい」と思うようになった。3年生で、母が、勝手に応募した夏祭りのカラオケ大会で優勝し、以来人前で歌を唄うことが好きになった。5年生で、国語の教材になった詩に曲をつけた。それが、学校の記念行事の曲に採用された。全校生徒1,000人が歌ってくれて、音楽の計り知れない力を感じた。

 高校1年で、カナダに語学留学する。盲目の音楽の先生がピアノの弾き語りで、セリーヌ・ディオンの「レッツ・トーク・アバウト・ラブ」を弾いてくれた。体中に電撃が走った。涙があふれた。
 その翌年、そのセリーヌ・ディオンが来日した。札幌から東京ドームまで聞きに行った。イタリアのオペラ歌手、アンドレア・ボッチェッリとデュエットしていた。イタリア語と英語で歌うのを聞いて、僕一人でこれが出来たらいいのにと思った。このとき、父の道か、母の道かと思っていたが、両方やればいいという思いが芽生えた。
 2002年、北海道から上京して、武蔵野音楽大学へ進んだ。大学卒業後、ソロアーティストとしてデビューを目指し、曲作りとライブ活動を繰り返したが、デビューまでの道のりが長かった。オーディションを受けまくったが、どこからも見向きもされなかった。
 のべ100社を超えた頃、ある事務所のオーディションを受けた。たまたまクラシックの発声で、オペラも入れたデモテープを持っていった。社長が聞いて「両方いけるじゃないか!まだ誰もやっていないし面白い!」と反応してくれた。どちらかに決めなくてもデビュー出来ると安心した。どちらも完璧に、というのは無理だ。「新しいジャンルに挑戦したい」「オンリーワン」を目指そうと思った。
 2008年4月、『ダッタン人の踊り』でデビューした。ロシアの作曲家ボロディンのオペラ作品『イーゴリ公』の中の曲「韃靼人の踊り」をサビに引用し、新たなメロディーを作りオリジナルの歌詞を付けたもので、ポップオペラの原型が出来上がった。その後も、バッハ、ベートーベン、アルビノーニ、マスカーニ、ドビュッシーの曲を藤澤流にアレンジして、どんどんファンを増やしていった。
 藤澤さんのファンは、30代から、上は限りない世代の、ほとんどが女性。「ノリくんの歌を聴いていると幸せな気持ちになれる」という人たちばかり。彼の歌を聴くことを生きがいにしている人たちばかり。だが藤澤さんは、「ファン層はデビュー当時と少し変わって、芸術性を認めてくれるファンが多くなりました。デビューした頃は、テレビにたくさん出て知名度を上げたいと思っていましたが、徐々に本物の作品や音を届けたいと思うようになりました。自分の求めるものが変わった頃から音≠聴きに来てくれる人が増えたんです」と自己分析している。

耳の病気がもたらしたもの

 4年前の秋、コンサートツアーが始まる直前、藤澤さんは、突発性難聴になった。絶対音感があるから、鍵盤の音がなくても音程がとれるが、そのときは実際の音より低く感じたので違和感を覚えたらしい。だが他の人が客観的に聴くといつもと変わらぬ歌に聞こえるらしい。その頃はライブやキャンペーンでとっても忙しかったので、疲れがたまっていたのかもしれないと思った。最悪の場合は、コンサートも全部キャンセルかなと考えた。一時期はうつになりかけた。「曲作りにも意欲がわかないし、自分はどこに向かって走っているのかわからなくなってしまって…」と、その時の心境を吐露する。
 ぼくは、耳のことを聞いて、コンサート初日を迎えるまでは、気がかりでしかたなかった。その日は客席でドキドキしながら見ていた。彼は、ボクのことを「東京のお父さん」と呼んでくれるが、まさしく父親の心境そのものだった。だから、第一声を聴いたときは「ああ大丈夫だ」と胸をなでおろした。
 「僕も楽屋で村上さんの顔を見たときは胸がつまってしまって…。ただ、あの苦しみを乗り越えたことで何か大きなものをつかんだような気がするんです」「自分にとってはこれが精いっぱいだと開き直って臨んだ結果、かえっていい出来になったような気がします」
 辛い思いはしたが、結果的によかった部分もあったようだ。会場には、いろいろな悩みを抱えている人たちもいただろうが、彼が難聴と闘っている姿やがんばっているところを見て励まされた人もいたはずだ。
 実は、突発性難聴を発症したとわかったのは、藤澤さんと雑誌の対談をする日だった。当日の朝、彼からキャンセルの申し入れがあった。心配して駆けつけたコンサートの楽屋で、彼はケロッとしていて、いささか拍子抜けしたのだが、後日談を聞いて、顔で笑ってなんとやら…。彼の成長の糧になった事態であったことはもとより、深刻ぶらない彼にも、感心したのだった。

■村上信夫プロフィール
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や『鎌田實いのちの対話』など、NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を回り「嬉しい言葉の種まき」をしながら、文化放送『日曜はがんばらない』(毎週日曜10:00〜)、月刊『清流』連載対談〜ときめきトークなどで、新たな境地を開いている。大阪で『ことば磨き塾』主宰。
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
これまで、『おはよう日本』『ニュース7 』『育児カレンダー』などを担当。著書に『嬉しいことばの種まき』『ことばのビタミン』(近代文藝社)『ラジオが好き!』(海竜社)など。趣味、将棋(二段)。

http://murakaminobuo.com


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■イネ・セイミプロフィール
フルート奏者として活躍中。俳画家。
絵画を幼少より日展画家の(故)川村行雄氏に師事。俳画を華道彩生会家元(故)村松一平氏に師事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさしいタッチで描いている。個展多数。

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