海外の旅この指とまれちょっとおじゃまします元気のでてくることばたち
 最近は、台風が来る時期も早くなったり、遅くなったりと、台風の旬がなくなったような気がします。また、台風の通り道が子どものころは決まっていたようです。例えば、枕崎市から足摺岬か室戸岬付近を通って紀伊半島に上陸といったコースだったようです。幼かった私が、鹿児島県の枕崎市を知ったのも、台風のニュースからです。枕崎と聞けば、宇和島にも来るということをいやが応でも体験的に察知するのでした。

台風どきの迷信
 台風の恐さ。それは、今と違って、なぜか、夕方から夜中にかけてでした。このころは、前もって停電するので、夕飯を早く取って台風が来るのを待つのです。そして、家族とともに台風の恐さを共有するのです。暴風雨が強くなると、私はお袋に「仏さまに早く線香を上げてや」とせがむのでした。神頼みでなくて、仏頼みでした。今考えると無茶な話です。

秋の収穫の日
 仏さまのおかげで、無事夜が明けると、台風一過で昨夜の暴風雨が嘘のように眩しいほどに晴れ渡っていました。しかし、吹き返しはまだ残っていました。
 なぜか学校は臨時休業でした。このころは、農繁期という休みがあったころでゆっくりと時間が過ぎていたような気がします。この臨時休業こそが、秋の収穫の日でもあったのです。
 誘い合って栗や柿拾いです。道端に落ちている栗や柿を拾うのです。決して、栗山や柿畑に入ってまで拾うことはしなかったのです。しかし、下刈りをしていないと、荒らしている山や畑であるとして、取って食べたものです。これが農家の子どもたち同士のルールだったのです。また、大人たちもそのルールを認めていました。
 とにかく、いつ、どこに何がなっているかは学校の帰り道や、春から夏にかけていろいろの食べ物(イタドリ、野イチゴ、ヤマモモ、びわ、夏みかんなど)を取りに出かけていくなかで見つけて覚えておくのでした。そして、それぞれの野山の「食べ物ごよみ(暦)」を頭の中に作っておいたのです。こうして旬の味覚や季節感を磨いていたのです。